きよめ餅の始まりは昭和10年(1935年)。酒屋の大番頭をしていた初代は、伊勢神宮を参拝した折に、お伊勢さんの銘菓・餅菓子を食べて、あることに気がついたという。伊勢神宮には餅菓子の土産品が多くあるのに、なぜ熱田神宮にはないのか?と。昔から伊勢街道は餅街道という別名を持つほど、参拝する人々に腹持ちの良い餅菓子が多く作られてきた。それに比べると、確かに熱田神宮にはそれに当たる餅菓子がなかった。そこで、ないなら自分が作ってしまおう!と一念発起して『きよめ餅』を始めたのだそう。このエピソードからもわかるように、かなりのアイデアマンだった初代。きよめ餅が誕生してからも次々と新しいモノやコトを取り入れて商品化し、和菓子屋として順調に事業を大きくしていった。
そして初代の長男で新谷(しんたに)さんのお父様が2代を継ぎ、生産数を上げるために機械を導入。キヨスクや名古屋空港などとの縁も作った。さらに弟が3代を継承し、兄弟2人が力を合わせて今のきよめ餅の土台を確かなものにした。
家族で代々継承してきたきよめ餅の和菓子スピリットは、基本に忠実に、そしてアイデアとチャレンジ。今も、きよめ餅の根幹とも言える“こしあん”は、気の遠くなるような丁寧な作業を続けて作られている。「特別なことをしているわけではなく、昔と同じことを淡々と続けているだけなんです」と新谷さん。ところが、熱田神宮会館が結婚式場を始めるにあたり和菓子屋だけではなく洋菓子屋も併設したり、「きよめパン」を開発したりと、創業者のアイデアマンっぷりは当代にもしっかりと受け継がれている。土産品としてのきよめ餅だけでなく、四季を通じて、きよめ餅スピリットが生き生きと表現されたお菓子を、ぜひ味わってみたいと思う。
熱田神宮の門前で商いをしていることもあり、新谷さん家族は昔から熱田さんへの参拝を欠かすことはないと言う。熱田神宮の敷地は広く、社や森など見どころは点在しているが、中でも新谷さんが好きなスポットは、「こころの小径」と名付けられた細い道なのだとか。神楽殿に向かって右側に案内板があり、そこから入っていく。
熱田神宮の境内には公開されていない一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)があった。平成24年(2012年)、創祀1900年の遷宮の折りに一般参拝が可能となり、この「こころの小径」を通って行くことができる。泉の湧く小川があったり、深い森林の風景を味わったり。ここが名古屋の街中であることを忘れさせるような場所なのだとか。
熱田神宮には毎月1日(1月・5月・6月・11月除く)に「朔日市」(ついたちいち)が立つ。きよめ餅をはじめ、熱田近辺の和菓子屋やお茶屋などが協力して作る「熱田宮餅」が販売されており、毎月多くの人で賑わっている。「熱田さんの門前で和菓子屋をさせてもらっているので、熱田さんへの気持ちを表そうということで始まったのが朔日市です。熱田さんあっての、きよめ餅です」と新谷さん。熱田さんへの感謝の気持ちが伝わる一言だった。
熱田神宮まで出かけたら、こころの小径を散策し、心が整ったところで、帰りはきよめ餅で“和菓子道”を極めることといたしましょう。