閑静な住宅街の一角に突然現れるあられ屋さんのビル。近代的な外観からは、大きな工場であられが生産される様子を想像するが、実際は職人さんたちが細かく丁寧な手作業であられを丹念に焼いている姿がそこにあった。聞けば、創業は大正8年(1919年)、すでに100年を越す老舗である。現在の社長で4代目を数えるのだとか。
なんでも初代は名古屋の人ではなく、もともと兵庫県出身者だった。兵庫県のあられ屋で修行を重ね、自分で商売を起こそうと東京行きの電車に乗った。ところが車内で知り合ったのがたまたま名古屋の人で、名古屋がいかに良いところか、住みやすく、水が美味しく、あられの商売をするならぴったりか教えられたのだそうだ。東京を目指すつもりでいた初代は、運命を感じたのか一気に方向転換し、名古屋で途中下車。夢と希望を持って、名古屋の地であられ屋を創業したのである。
車内で出会った人の予言通り、あられ屋は非常にうまくいき、弟子が増え、のれん分けするまで大きく成長したという。昭和に入り、戦後の経済成長期には、名古屋に百貨店ができると一番乗りで都あられを扱ってもらうようになる。
創業100年を超えるあられ屋が4代変わらず存在するにはどんな秘訣があるのか?と尋ねてみると、実直な答えが返ってきた。「あられは、餅米を水にまる一日ひたして翌日餅をつき、冷蔵庫で一旦冷やし、さらにそこから何日もかけて乾燥させてから焼き上げます。出来上がるまでに最低でも1週間はかかります。でもどの工程にも手を抜かず、材料は北海道産の一等米を使い、餅の自然な甘味を感じてもらえるようなあられ作りをしています。体に良いものしか使っていません。それが受け継がれた製法でありマインド。これからもそれを変えるつもりはないのです」と4代目社長の田口智恵(たぐち・ちえ)さん。こんなあられ屋さんが名古屋に存在していてくれてありがたい!と取材陣で思わず目を合わせてしまった。地元民の立場として、電車で名古屋の良さを初代に語ってくれた名古屋人に感謝したい思いである。
住所:名古屋市西区押切2-3-4
TEL:052-522-2208
営業時間:10:00~17:00
定休日:土曜・日曜・祝日
URL:http://miyakoarare.shop3.makeshop.jp/
都あられ田口本舗の南側には美濃路が通っているが、その道沿いに白山社が鎮座する。創建は文明9年(1477年)という説が有力。白山信仰していた室町幕府の役人がある晩に夢をみて、そこに白山権現を名乗る尼さんが出てきたのだそうだ。その尼さんを祀ってくれれば天下安泰を護ると言ったので、白山社を建てたと伝わっているのだとか。
史実とつきあわせて見てみると疑問点も多くあるようではあるが、少なくとも美濃路は鎌倉時代からあったので、あながち後世の作り話ではないかもしれない。美濃路は東海道と中山道をつなぐ脇道で、このあたりには押切城があったことから、この道沿いはそれなりの往来があったことがうかがえる。
なにより美濃路を有名にしているのは、信長が桶狭間の合戦に出陣する時にこの神社で戦勝祈願し、合戦で今川義元に勝利すると再びこの美濃路に戻って凱旋したということである。都あられ田口本舗でお買い物をした後は、ぜひこの美濃路を歩いてみて欲しい。道なりに進んでいくと、いかにも昔の街道らしく、少し曲がりくねっていて、昔日の人の往来を想像させるような街の表情が見えてくる。
また、白山神社の前に「榎」(えのき)の名前が付いていることに気を留める方もいるだろう。これには逸話が残されている。一羽のキジがこの神社にやってきたが、命果てて死んでしまったため、不憫に思った村人が境内に埋めてやった。すると時が経ち、キジのお腹の中にあった榎の木の種が芽吹いて、大木へと成長したというのだ。都あられ田口本舗があるエリアは、名古屋市立榎小学校の学区であり、榎はこのエリアの通称となっている。子供が育つ街という意味では、微笑ましいエピソードである。