高砂本家は大通りに面しているので、お店の前を通ったことがある、という人も多いだろう。実は130年近い歴史がある和菓子店であり、現店主で5代目を数える老舗であった。聞けば、西区のお菓子問屋さんが多く集まる明道町の角で“高砂まんじゅう本家”の名前で明治30年(1897年)に創業したのだそうだ。道路拡幅工事のために場所を昭和区に移したのが70年ほど前のこと。
現在の場所にかわったのは現店主のおじいさまである3代目の時だった。お店の建物が近代のものなので、てっきり昭和の頃にできた和菓子店かと思っていたが、百年超えだったとは。名古屋の和菓子屋さんは聞いてみたら歴史が深いということが本当に多いので驚かされる。
そしてその歴史ゆえに、飽きのこない豊富な商品力と地域に根差した文化性の高いお菓子がラインアップされていることに再び驚いた。高砂本家のある塩付通の一本西に、塩を運ぶ道としてにぎわった塩付街道が通っている。江戸時代にはさぞや栄えた街道だっただろう。その地域の歴史を思わせる商品がショーウィンドウに並んでいるのだ。
たとえば看板商品である「つぶ大福」は、塩が大福の味のアクセントになっているが、これは塩を運ぶ街道からヒントを得てつくられたもの。そんな謂れを知ってから食べると、そのほのかな塩味がたまらなく美味しく愛おしく感じるのである。
塩付通から一本西の道が、「塩付街道」である。南区の星崎あたりに塩浜があって、そこで作られた塩を信州に運ぶために作られた道で、かつては多くの人や馬でにぎわった道だった。
高砂本家からまっすぐ西に進み、塩付街道に出たら、左(南)の方向に歩いてみよう。昭和に整備された新しい道とは表情が違い、ほんのすこし曲がりくねっている。人が歩くことで自然に形成されていった昔の街道の風情がある。
道幅は決して広いとはいえないが、ここで馬をひいた人が行き交ったのだなと思いながら歩いていたら、緑がこんもりと生い茂る白山社が目の前に現れた。調べてみたら創建は不明らしいが、すぐ隣にある善昌寺のものであるらしい。善昌寺の創建が慶長13年(1608年)とのことなので、おそらくその後に作られたのだろう。塩付街道がにぎわった時代には白山社や善昌寺に詣でる旅人もあったのではないだろうか。そんなことを想像しながら歩いていたら、あっという間に桜山あたりまで進んでいた。
この通りはぜひとも車ではなく歩いて巡ってみて欲しい。途中には豪商だったと思われる黒塀の住宅があったり、地元の人たちの井戸端風景にでくわしたり。歩くことでしか見えない風景がたくさんある。もしも疲れたら、ちょっと横着かもしれないけれど、バッグの中の「つぶ大福」をぱくっとかじれば、きっとすぐに歩き出せるはずだ。