明治カフェ

菊里松月

菊里松月店舗

ひっきりなしのお客様、
地元に愛されているという誉れ。

和菓子にはジャンルがいくつかある。茶席で用いられる上生菓子、土産品としての和菓子、季節の行事に使われ家庭の食に密接に関係している餅菓子などである。「上生菓子も土産品の和菓子ももちろん作っていますが、うちのメインは、ご家庭の日常とともにある餅菓子を中心にしたお菓子。季節を感じられる商品を数多く揃えていますから、季節ごとに好みのお菓子を探していただけたら!」とご主人。

創業は大正12年(1923年)。初代が大須にあった松月という和菓子屋で修行し、その暖簾分けとして開店させた。飯田街道がまだ狭い道だった頃は、今よりももっと広い店舗空間で、かき氷やぜんざいを食べさせる喫茶コーナーがあったという。今も看板商品になっているおはぎなどの餅菓子は、その当時から大人気だったのだろう。

取材に伺った日、次から次へとひっきりなしにお客様がやってくる。賞味期限はほとんど当日か翌日まで、というお菓子が多いため、そのことを店員さんが丁寧に説明し、このお菓子は減らした方がいいんじゃない?などと進言したりしている。地元密着という言葉は使い古されたかもしれないが、このお店に限っては、本当に地域の暮らしに根ざしているという感じがひしひしと伝わってきた。

筆者は「あんころ餅」を買って帰り、自宅でお茶うけにいただいたところ、こしあんのなめらかな食感にさっぱりした味わいと、その奥から現れる餅の美味しさに驚いてしまった。「近所に欲しいお店!」と独りごちながら、大きめのサイズをペロリとたいらげた。

観光客

季節のお菓子

  • 草餅
  • 鬼まんじゅう おいもさん
  • 栗おはぎ
  • いちご大福
  • 「草餅」

    よもぎの香りがふわっと漂う草餅は、春の人気商品。岐阜県揖斐郡の香り高いものと、東北産のしっかりした味のものをブレンドして使っており、よもぎの風味がいちばんの特徴である。

    また俵型の草餅というのが珍しいので理由を尋ねると「おふくろが作るとこの形になるから、うちでは自然に俵型になったんです」とご主人。お母様の手業を真似て作るようになっていったその姿を想像するだけで、食べ手の心もじんわりと温かくなってくる。

  • 鬼まんじゅう おいもさん

    鬼まんじゅうに使うさつまいもは、秋が旬だと思われているが、鬼まんじゅうに適したさつまいもは夏がいい!と断言するご主人。

    秋のさつまいもは甘味があってねっとりとしてくるのに対し、夏のさつまいもは、アクがなくホクホクしているので、鬼まんじゅうに向いているのだそうだ。

    ぜひ出来立てを食べて欲しいという思いから、出来立てを瞬間冷凍した「冷凍 鬼まんじゅう」が取り寄せ用として販売されている。店頭販売のものは当日のうちに食べて欲しい。

  • 栗おはぎ

    おはぎは、菊里 松月の代名詞ともいえる商品だけに、季節ごとにラインアップが多く、そして美味しい。

    秋は栗100%で作った栗あんで、発芽玄米ともち米をブレンドして作ったごはんを包んだものが人気となる。創業以来の伝統製法でつくる栗あんは、栗と少量の砂糖だけを使って作られた甘さ控えめの自慢の味。栗あんのおはぎとは、なんとも贅沢である。

  • いちご大福

    愛知県産の大粒いちご“紅ほっぺ”を粒あんで覆い、大福餅でくるんだいちご大福は、地元の方々にとっては冬の風物詩になっているようだ。

    餅菓子屋さんの本領発揮ともいえる商品なので、菊里 松月にいちご大福が並び始めると、いそいそと列をなしてお客様がやってくる。地元に愛される和菓子店のほほえましい光景である。


菊里松月きくざとしょうげつ

住所:名古屋市中区新栄3-23-10
TEL:052-241-5317
営業:8:30~16:00
定休日:毎週木曜日、月2回水曜日
URL:https://kikuzato-shogetsu.com/


周辺情報

山崎川

菊里の交差点から見晴らして、
塩の道を歩く。

菊里 松月は塩の道と呼ばれた飯田街道沿いに店を構えている。かつて名古屋から長野県飯田市まで塩を運んだといわれているが、もちろん運んだのは塩だけではなかったはず。往時の人々にとって塩は生きていく上でなくてはならない貴重品だったため、そう呼ばれたのではないだろうか。

菊里 松月は「菊里」の交差点のすぐ脇にあるが、この飯田街道自体がゆるやかな坂になっているため、交差点の真ん中に立つと、新栄方向を見ればその通りが見晴らせる。反対方向は中央線の高架が眺めを遮断するものの、その先は古井ノ坂(こいのさか)へと続く道だ。恋の坂とも読めるので、恋愛にご利益のある坂になるといいなと思うのは筆者だけだろうか。

菊里 松月の店主が祖父から聞いた話によると、菊里の交差点には馬に水を飲ませる場所があったそうで、脇には水路もあったとか。街道を馬とともに物資を運ぶ人たちが、馬と一緒に休憩した場所だったのだろう。昭和の道路拡張によって道幅が広くなったが、旧街道の道幅は現在の1/2程度だったというのだから、飯田街道沿いのにぎわいも相当なものだったに違いない。商店がずらりと並ぶ通りで、様々な商いがされていたのだそうだ。

菊里の交差点から通りを見晴らして、多くの人でごったがえしていた飯田街道を想像してみてほしい。昔日の人いきれが、目の前に蘇ってくるような不思議な感覚にとらわれると思う。

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